大阪冬の陣で!
潜水艦が出現か!?
こんな話、ご存知でござるか?
「続武将感状記」によれば、九鬼水軍の”盲船”なるものが大阪城隅の櫓を攻撃し打ち破ったらしいのじゃ!
詳細はこんな感じ、全長15間(27米) 幅5間(9米)
胴壁、天井が苫(とま)のように、竹束で覆われ多少の銃撃ではびくともしないほど密で、堅固に作られていたので、乗組員は安心して働けたようじゃ!
水中を潜行して、櫓に近づき舳先(へさき)と艫(とも)のふたを開いて、仏狼機(フランキ)大砲で砲撃したとのことでござるよ
「難波戦記」に記されておるようじゃ!
結構、マユツバものかも知れんがのう~?
重心を低くし、吃水線(きっすいせん)を深くして、亀甲状の屋根を水面すれすれにすれば、潜水艦に見えんでもないか?
朝鮮出兵の際、李舜臣(イ・スンシン)率いる亀甲船に日本水軍は殲滅させられておったが、そのときの亀甲船に似ているかも知れんのう~!
内部には、大砲が装備されておるぞ!
乗り移られないように、甲板には鋭い棘状の突起があるのじゃよ!
そうそう、”九鬼守隆”は文禄・慶長の役に日本水軍の主将格で参戦しておるのう~。
それをヒントに、”盲船”とやらを建造したかも知れんが、明確な資料もなく推測を出ん話じゃて・・・。
まぁ、伝承という事で
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コメント
盲船の話は初めて知りました。
多分、九鬼守隆は朝鮮出兵で亀甲船にコテンパにされ、あまりの悔しさに同じ様な船を作ったのはいいけど、とても重くなったので必然的に沈んだんじゃないかと思います。
投稿: しえんか | 2009年12月24日 (木) 06時24分
これだけの物なら詳細な資料が残っていても良いのにね、失敗作だから残ってないのかな?
投稿: 窓屋 | 2009年12月24日 (木) 18時23分