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桜田門外に散る

井伊直弼は、大老であり傑出した才能を持っていたし、政治家としての責任感も人一倍あったが・・・。

まさに時代が変わろうとしたとき、彼が対決したのは”変革を望む声”だったに違いない。

250pxii_naosuke ”井伊直弼”

井伊直中の14番目の男子じゃ。

徳川四天王の家系を幕末まで受け継いだ井伊家。

井伊直弼襲撃の斬奸状を見てみるでござる。

一つ、タウンゼントハリスを江戸城に入れた事!

一つ、和親条約につぎ、通商条約に対し勅許を得なかった事!

一つ、大獄で、志士たちを弾圧した事!

万延元年(1860)3月3日桃の節句、例年ならば春の暖かな日和があるところ、その年に限って夜半からの大雪となった。

まさに、変事の予兆のようでござった。

250pxsakuradamon01s3200 ”桜田門”外

桜田門外の変は、皆さんご存知の通りでござるよ!

水戸・薩摩の浪士たちに襲撃され横死したのでござる。

皮肉な事に、先日投稿した”天狗党”の処分に多くの彦根藩士が手を下した事は、あまり知られていない!

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コメント

知っているようで、実はその裏には色々なエピソードがあるんですね。勉強になります。

投稿: 窓屋 | 2010年1月12日 (火) 23時14分

勝手な事を、色々言う人いますが、

あまり知られていない事って、ありますよね。

投稿: コタロウ | 2010年1月13日 (水) 08時35分

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